No.388  2004年7月号
 戦争は衣食住だけではなくあらゆる人権を侵害する。
 東京大空襲1年前、妹の学童疎開を避け錦帯橋の岩国に疎開、女学校2年に編入。敵国語の英語はなく、良妻賢母の教育も布や食料窮乏で実習なし。竹槍・手旗信号の授業軍服の穴かがり、ボタン付け、男手のなくなった農村の田植え、防空壕掘り−この壕で聞いた終戦前日の岩国駅周辺の空爆音は長く凄まじかった。B29が残り弾の廃棄場にしたのだ。
 校舎での学徒動員作業は軍歌漬け。昼休み、校外動員中の上級生の机椅子が積み上げてあった講堂に一早くもぐり込み、毎日友人たちと女学生愛唱歌(月の砂漠、君よ知るや南の国など)を歌いまくった。グランドピアノの音は職員室にも届いたはずだが、なぜか。怒られなかった
 家での玄米搗き、粉引き等の手伝いほかは東京時代に習った曲の復習を繰り返した。隣家の人の「敵国の曲を弾くな」の怒鳴り込みもあった。すでに音楽教師はおらず、式での”海行かば”の重々しい伴奏は今は涙音。
 昭和25年就職の中学校では雨降り欠席、弁当泥棒、昼休み校庭にいる生徒など、戦争後遺症は長く痛く続いた。
 
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