No.417  2007年3月号
 社会保障制度の改悪はこの間一貫して進められてきました。その中で、国保の「資格証明書」「短期保険証」発行による実質的な受療権の剥奪問題、あるいは生保申請における権利侵害や餓死事件など、全国的にも大きな問題となっているのはご存知の通りです。
 しかし組合員の皆さんの中には、これらの事態を聞くにつれ「社会保障の改悪はいけないとは思うが、こういった人たちはよほどお金に困っているか、何か問題を抱えた一部の人たちなんだろう」という感想をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
 しかし、医療・福祉の現場の人間として、この二〇〇六年度からの一年間では、今までとは全く質の違う事態が引き起こされているような気がしてなりません。これまで何とかがんばって普通に一人で生活できていた高齢者が、その「普通に」さえも暮らすことができなくなってしまっているのが社会保障の現実となっているからです。
 「けんこう」二月号一面の二つの事例紹介を覚えておられますか。ひとつは介護用ベッドを引き上げざるを得なくなり、結局転倒して介護度が重症化した方。もうひとつはこれまでのヘルパーと一緒の買い物ができなくなり、将来への展望が持てず精神的に落ち込んでいる不安神経症の方でした。自費で介護ベッドやヘルパー派遣を支払える方はそうはおられません。
 「高齢者が一人で生きていくことがかくも困難な国になってしまったのか」という暗澹(あんたん)たる思いに駆られます。介護予防が予防にあらず。まさに国家権力が杖をついて歩いている高齢者に「杖を使うのはまかりならん」と無理やりとりあげているのと同じことだと思うのです。
 そういう意味で二〇〇六年度という年は、国民の暮らしと生活が国の手によって脅かされるということが新しい段階に入った年として記憶されるのではないでしょうか。介護保険はもちろん、障害者自立支援法の導入によるサービスの利用抑制しかり、ワーキングプアの増大しかりです。
 広島市では、広島駅と広島空港をわずか七分短縮するために総工費一〇〇〇億円(うち広島市負担分五〇〇億円)もつぎ込んで高速五号線を造るという、とんでもない計画が進行中です。市民一人あたり九万円にも上る大型公共事業です。これを市民生活に利用すれば、国保料・介護保険料の引下げや、自治体での独自施策など造作もないことでしょう。国でも「憲法改正を参議院選挙の争点とする」と安倍総理は公約しています。国に対しても、自治体に対しても、税金の使い方の問題・国のあり方の問題で大きな声で物申すことがどうしても必要です。
3月号TOPに戻る ≪前の記事 次の記事≫