No.417  2007年3月号
 今年は湯川秀樹生誕百周年。日本で初めてノーベル物理学賞を受賞し日本の物理学をリードした人だ。また核兵器反対への運動にも重要な役割を果たした人である。
 彼はいわゆる「中間子理論」を一九三五年発表した。この理論は当時世界中の科学者から強い批判を受けた。中間子が存在する証拠がどこにもなかったためである。ボアーもアインシュタインもとても冷たかったそうだ。その後たまたま宇宙から飛んできた放射線の中に「湯川さんの予言した粒子が発
見され理論上も正しい」ことが分かり、一九四九年、実に十四年の歳月の後にノーベル賞受賞となった。
 滞在していたアメリカで湯川はアインシュタインと出会った。彼から日本への原爆投下をくい止めることができなかったことを涙を流して謝られたことに感銘した湯川は、「核兵器と戦争の廃絶を訴えたラッセル・アインシュタイン宣言」の署名者となるなど、世界平和のための運動に力を入れるようになった。
憲法九条が問われている今こそ先人の築き上げた戦争の禁止、核兵器廃絶が求められている。
(HSM)
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