No.408  2006年5月号
 母は五十九歳で亡くなり、三十一歳だった私は六十歳以降の自分がずっとイメージできなかったが、人生一巡りしてもう数年過ぎた。
 折にふれ身体のあちこちから実年齢を知らせてくれるが、気分の方は身体と同じようには年をとってくれない。
 そのギャップに苦笑いすることもあるが、ふり返り思い出すことが多くなり、思い出すことを妙に身近に感じるのも年を重ねたせいだろうか。
 小学校二年生の孫が「おばあちゃん、何歳まで生きたい?」と無邪気にきく。「六十歳まで」と答えると「もう、すぎたでしょう」と真面目な顔でいう。それなら「しほちゃんが成人式を迎えるまでは」と答えると、十一年と計算してくれる。そうか、そんなに遠い未来でもないなと納得しながら、小さな孫の十一年後の振袖姿を思いうかべて、一瞬華やいだ気分になった。一年一年の実感、生きることの意味の深さ、年を重ねて気づくことも多い。多くの人と出会い、さまざまな風景の中に身を置き、うれしいことも悲しいことも生きることに包みこんで過ぎた時間。人生の途上で逝った人たち、その理由は心に痛く刺さるが十一年後の成人式も平和な時代であってほしい。(HYM)
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