No.402  2005年10月号
 1967(昭和42)年12月、藤川専務が副理事長、山内理事長が専務理事、田阪安佐診療所長が福島病院長、私が事務長にそれぞれ就任、以後16年在職した。
 外部から病院に入ったばかりで、仕事も様子もわからない私は、患者さんとのトラブル、設備の故障などで、週に1回は深夜に呼び出された。ある時「病棟のトイレが詰まって汚水が廊下に流れている」とのことで飛び起きて行ってみると、1階のトイレと廊下いっぱいに屎尿が流れ出している。北3階病棟のトイレを使用禁止にして、患者さんには外来のトイレを使ってもらうことにした。
 施設係の野間さんを呼び出し、夜勤の看護婦さんも手伝って、3人で汚水を水で流したり、棒雑巾で拭き取ったり、外来への通路には板を何枚も敷き連ねて、夜明けまでには何とか片付いた。
 その後もトイレの流出には悩まされつづけた。現在のようにトイレ110番など無かった。浄化槽から溢れ出した汚水の上に、板を重ねて急場しのぎ、翌日のバキュームカーを待つことも度々あった。
 1974(昭和49)年4月、南に3階建病棟ができた際、病院全体の設備は一新され、こんなトラブルは無くなった。
 先日、明るく広い設備の整った病室、一緒に行った組合員さんも「こんな病院なら入院したいね」とはなしておられた。隔世の感を覚えた。
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