No.400  2005年8月号
 広島中央保健生協の前身である福島医療生活協同組合が設立されたのは1955(昭和30)年9月17日でした。この設立に当たっては、その前史、医療生協を設立するまでの様々な逸話、挿話、エピソードなど数限りなくあり、限られた紙面ではとうてい意を尽くせません。詳細は生協50年史に語らなければなりません。
 当時の広島はまだ原爆の傷跡がなお各所に残っており、生活環境の悪化、医薬品の不足等もあって市民生活は厳しいものがありました。建設の中心地であった福島地区は、一部、福島川の埋め立てに新しい木造市営住宅が進んでいるものの、あとは原爆でわずかに倒壊を免れた建物を復元したもの、共同水道、共同便所の木造パラック建てが大部分で、中心部には汚水が流れる下水路が存在するというひどいものでした。従って疾病もf云染病などの感染性疾患が大半を占め、今日のような生活習慣病、悪性腫瘍といったものは皆無か、全く影をひそめたものでした。ほとんどの人がトラコーマなどの眼疾患におかされ、赤痢、疾痢といった伝染病をして結核患者も多数いました。
 しかも無医町、このような中で自分達の診療所を持とうという運動が有志の人々を先頭として起こり、9月17日に創立総会にこぎつけました。ここに至るまでにはこの地域で積み重ねられた各種の運動、陰でその組織化のためにとりくまれた人々の努力がありました。特に大きな力を発揮したのは婦人(女性)の方々の努力でした。彼女達は当時の連合町内会の家へ座り込んで趣意書に同意を求め、2日がかりで筆頭発起人となる合意をかちとり、これを契機に全町に遼原の火の如く広がり、全町民が出資する生活協同組合が出現したのでした。
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