No.399  2005年7月号
 木造モルタル平屋22床の福島病院ができあがって間もなくの頃、私は理事の益田こえんさん、木原房子さんのお二人と福島川の土手道を病院に向かって歩いていました。いまの区役所と情報専門学校の問の道です。片方は豚小屋や掘っ建て小屋が並び、専門学校の敷地あたりは、背丈ほどの草が生い茂っていました。そこまで来たとき二人の理事さんはじっと病院を眺め、涙を流されました。
 長い年月、無医町だったここに地域の期待を一身に集めて建つ病院でしたが、町内各地がほとんど舗装されていない当時ですから、まず初日から特に外来は土ぼこりがいっぱいになりました。1日3回掃いて拭く掃除の度にちり取りにコップ2杯もの土がたまるありさまでした。
 また飲酒暴言、暴力患者も診療所の頃以上に増えてきました。病院経験があり人数の一番多い看護婦さんがこの患者への対応から掃除、診療報酬の請求、時問外の薬局、受付、会計まで全部背負っての出発になりました。海千山千、戦火をくぐった当時の看護婦諸姉のバイタリティが、あの時期を支えたのでした。
 先日、生協さえき病院を見学しながら、しみじみ思いました。その時、その時を担う者が、それぞれ一生懸命であることによって、歴史は前進し発展するのだと。
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