No.394  2005年2月号
 学徒動員、陰の犠牲者。ある兄妹が交わした最後の言葉、妹「町へつれて帰って!」中一の兄「今日は勤労奉仕なんだから駄目だ」妹「お兄ちゃんのバカーッ」泣き叫んだが、兄は自転車を飛ばして駅に向かった。汽笛がポーッと遠くへ消えた。そして、兄はそれっきり妹のもとに帰って来なかった。真夏、さらに熱い炎の光をあびて、全身やけどをし、眼も見えぬままに父にも母にも妹にも会うことなく、その夜半頃に亡くなったと聞いた。ずっとあとになって焼けただれたズボンの一片が返って来たと。妹は帰る家もなくなり父とも母とも会えなくなったそうだ。しかし、妹は人前で決して泣くことなく山へ登っては泣き、川下をしては泣き、学校では勝ち気にふるまったと。しかし、妹は祖父母のやさしいふところに育まれて、幸せそうに成長したそうだ。傷ついた子どもを救ってくれるのはやさしい心で、「ことばかけ」をしていくことこそ大切なのだと思った。日本は現在、戦争こそしていないが、全般的に人間関係が希薄だ。一度、社会のひずみに落ち込むと、生き通すことが困難となるのではあるまいか。もっと生きやすい社会構築を考えようではないか。  (HHM)
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