No.394  2005年2月号
 今年、広島中央保健生協は創立五十周年を迎えます。
 また、太平洋戦争は終結六十周年でもあります。
 五十周年記念事業は、先輩たちの努力に思いをはせ、次の世代にバトンタッチして行く作業です。御協力をお願いします。
開設当初の福島診療所
  
@ 五十周年誌、ビデオの作製
A 記念のつどい(8月26日予定)
B “あの時私は” 組合員の戦前・戦時・戦後の生活体験の収録
C 被爆者の絵を地域に返す 金崎是さんの被爆の絵をクリニック前に陶板で残す
ピカドン
 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、人類史上初の原子爆弾が広島に投下されました。街は一瞬にして廃墟と化し、強烈な熱戦と爆風、放射線が数十万の人々の命を奪い、生き残った人々もいまなお心と身体の被爆に苦しんでいます。
地域医療
 総合病院福島生協病院は、1955(昭和30)年8月16日、福島診療所として誕生しました。住民は、無医地域解消、住環境改善、文化向上の願いを込めて生活協同組合をつくり、できた診療所は、はじめは借家からの出発でした。
「私はあの日、生き地獄を見たのです。私はこのことを忘れることはできません。再びこのような核兵器が使われたら人間は絶滅すると思いました。今も原爆症は、生き残った被爆者とその子供たちの命をうばいつづけています。ヒロシマの若者は人類最後の人間になりたくないと世の人々に訴えています。この訴えが世界の人々の声になることを望みます。」    金崎是
闘い
 1962(昭和37)年、つぎつぎと原爆症で亡くなることに危機感をもち"福島被爆者の会”が結成されました。被爆家庭への訪問、体験を語り伝える活動、署名や募金活動など核兵器廃絶と平和への闘いをくりひろげました。
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