No.390  2004年9月号
大人たちが作った「先行き不透明な社会」は子どもや若者たちの夢を奪っているように思う。未来を描きにくくなった子どもたちは「今がよければ」と瞬間の快楽に引き込まれるのもコツコツと夢の実現に努力する気持ちになれないのも子どもなりの「生きる力」なのかもしれない・・・と思いながら何もできないまま、この春子どもたちと過ごした「保健室」を退職した。淋しいというよりホッとする自分に少々後ろめたさも感じている。ある夜、久しぶりに受話器の向こうから短大生になったK子の声「やっぱりもうだめ。親はわかってくれない」後は涙声でよくわからない。進路が両親の期待通りにいかなかった負い目がつまづきとなり彼女を傷つけている。また過呼吸症候群の症状がひどいため病院にいったらお医者さんは自分の話をパソコンばかりを見ながら聞くと訴えている。手首に何本も剃刀で切った痕を残しているK子。「わかった。明日おいで。一緒に考えてみよう」見通しもなく思い切り明るい声を出してみた。「ほんと、よかった。絶対行くよ」と勢いよく電話が切れた。何もできないかもしれないけれど、しばらく共に歩いてみよう。(HKO)
 
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