No.389  2004年8月号
 夏になると、15年前、原爆病院で逝った母を思い出す。「この日の空は、いつも暑い暑い空よ」と8月6日になると、空を見上げていつもつぶやいていた。
 父は、平和記念式典によく連れて行ってくれたが、母は決して行かなかった。自らの被爆体験を他の人に語りたがらなかった。
 しかし、2歳3ヶ月で被爆した私には、「むごいことよ」と繰り返し、繰り返し話していた。幼い日の光景と母の話が重なり、脳裏に刻み込まれた。本当の被爆体験と言えないかもしれないが、一こま一こまの記憶はとてもはっきりしている。
 最近になって母の原爆への激しい怒り、死んでいった人たちへ何もできなかった悲しみと苦しみが母の話から感じる。
 母から渡されたものは、いくつかあるが、この平和への想いは、二人の娘にもしっかりと伝えなければならない。(HKO)
 
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