No.386  2004年5月号
 昭和20年8月15日。 あの日の正午、〃玉音〃放送を下校途中の岩国小学校正門前で聞いた。俄かしつらえの自布で覆った台上のラジオは雑音入りで聞き取り難いものの、まわりの大人たちの「負けた!」で、〃勝つまでは欲しがりません〃のすべての我慢から解放されるのかと女学校3年生の私は漠然と考えた。御影石の学校の垣に真夏の陽がはね返りめくるめく記憶。
 錦帯橋一つ川下の臥龍橋を渡った女学校で風船爆弾用の楮の傷切り作業従事の明け暮れ。火の粉・弾,ガラス片を防ぐ綿入れ防空頭巾。非常食(いり大豆や乾パン)、救急用品(三角巾や火傷薬)入りの布袋。へチマ襟の国民服に木綿絣のもんぺ。必勝文字の鉢巻。左腕には「学徒動員隊」のワッペン。左胸の白布には本籍、血液型の文字。ヤニで悩まされる松の下駄、鼻緒は手作り。シーツは下着に変身、すべて手縫い。ささやかな抵抗心から配給の白い靴下は蔵に残っていた緑の染料で染めてはいた。
 史上最悪の年金法案審議が始まる。過去の悪政のツケと戦費調達のためである。いくら大量にあっても、今の燃え易い繊維は戦時に国民の肌を守るか?(HSM)
 
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