No.399  2005年7月号
私は五月二日より二十七日までの期間、国連で開かれたNPT再検討会議に向けて、日本原水協要請団の一員として四月二十七日から五月四日の期間訪米し、さまざまな活動を行ってきました。

ホワイトハウス前での署名行動
ホワイトハウス前での署名行動
 最初に首都ワシントンを訪問し、スミソニアン航空博物館にて広島市に原爆「リトル・ボーイ」を投下したB29「エノラ・ゲイ」号を見学し、ホワイトハウス前で「核兵器廃絶」の署名活動、先住民インディアン博物館の見学、キング牧師記念図書館での「原爆展」を激励したあと、ナショナルプレスセンターで記者会見して、広島の被爆の実態を詳細に報告しました。さらに地元の平和団体「プロポジション・ワン」中心のメトロポリタン協会での平和集会に参加し、友情と連帯の意志を交わしました。
 次にニューヨークに移って、セント・ジョン・ディヴァイン大聖堂でのシンポジウムに参加しました。ここでエジプト国連大使、アメリカ平和団体、日本の平和団体がそれぞれ意見を表明し合いました。五月一日にはニューヨークの中心街、国連本部前での「核兵器廃絶」の署名を行ったあと、中心街を三、二キロメートル、セントラルパークまで街路樹いっぱいに広がってフランスデモを行いました。広島から持って行った「ノーモアヒロシマ」の横断幕は大きく市民の目をひいたのではないか思います。
 セントラルパークでは約四万人の参加で平和集会が開かれ交流をしました。
国連本部前

 五月二日から国連でNPT再検討会議が始まり、これに向けて五百三万余の署名(広島からは十三万余)がデュアルテNPT会議議長に手渡され、要請行動を終えました。
 非常に多忙な日々でしたが大変充実した日々でした。
 署名運動で感じたことは、広島での惨害がアメリカ市民にはほとんど知らされておらず、「原爆で犠牲が少なくてすんだ」という認識がなされていることです。しかし、写真や記事を示して内容を説明していくと態度が変わり、署名に応ずる人
が多く出たということです。これは今後の運動を進めるうえで大きな励みとなりました。
 NPT再検討会議はアメリカの頑なな態度にあって議長総括もほとんどされないままに終わりましたが、内在する核保有国と非核保有国の矛盾はいっそう強まったといえます。また、八百三十人の日本代表団がアメリカ国内で活動したことはアメリカ国内の平和運動を大きく励ますものとなりました。

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