No.387  2004年6月号
 衣・食も統制されたあの時代。他家の切り落とし大根葉をもらった体験。結果も考えず甘味欲しさに消化剤の「わかもと」を茶棚から失敬。一椀の雑炊欲しさの行列。愛玩用の兎(うさぎ)の肉の臭さ。卵を産まなくなった鶏の肉の固さ。雑炊の量を見極めるためすっ飛んで行き、置き換えた食卓。庭のしだれ桜にはわせた南瓜はうらなりばかり、その糠潰(ぬかづけ)のまずさ。衣類持参で食料買い出しの母、峠往復で遅い帰宅を待つ私。父は早死、孤児になるのではの心細さ。
 一日の配給米は次第に滅り高梁(こうりゃん)や豆粕(まめかす)など代用の配給。心底〃銀飯〃が食べたかった。とにかく、育ち盛りの頃の飢えの恨み言は際限なし。
 終戦。米の代わりに砂糖配給、岩国燃料廠(ねんりょうしょう)放出物。カルメラを作りながら「ある所にはあったのだ。」と十代半ばの私でも気づいた。
 いま、飽食の時代。かたや食生活を危ぶむ事件が続く。外国と比べものにならぬ自給率二八%の低さ。減反攻策で荒れた田んぼの回復には年数がかかると聞く。少子高齢化を理由の「痛み」強化、生活のためとはいえ庭木を抜き、土を耕し野菜作りをする体力は、七十三歳にはもうない。
(HSM)
 
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