原爆投下から五十八年のヒロシマ。 平和行進、 ピースコンサート、 虹のひろば、 原水爆禁止世界大会など多くの行事が開かれました。 核兵器も戦争もない地球を願うみんなの思いが集まりました。
 中央保健生協からも多くの組合員が、 平和を願う多彩なとりくみに参加しました。 平和に安心してすみつづけられるまちづくりへの思いがさらに広がりました。


2003年 「ヒロシマ虹のひろば」にて
 七月二十四日に広島中央保健生協が開催した 「被爆体験を聞く集い」での東博登さんの訴えは、 参加した四十一人の胸を打ちました。 東さんからのメッセージを紹介します。
 「私の話のあとの座談会で、 数人の被爆者の方から数分ずつでしたが、 被爆者としての想いを真剣に話されました。 被爆者の方はみなさん、 大きな、 重い想いを持っておられることがよくわかりました。
私も一人でも多くの人々に語り続けなければとあらためて思いました。」
心の窓◆
 暑い(熱い)ヒロシマ・ナガサキ紀元五十八年八月六日の朝、 原爆慰霊碑の前に立った▲被爆七年後の廃墟の中で原爆慰霊碑が除幕されたとき、 五万七千九百二柱の死没者名簿が納められた。 そしてこの日、五千二十柱が追加され、 二十三万一千九百二十柱が今ここに眠る▲ヒロシマ・ナガサキは昔話ではなく、けっして終わってはいない。 アメリカの一万六百発をはじめとして、 この地球上には二万発を超える核爆弾が現存している▲広島に原爆が投下される三週間前、 アメリカが最初の核実験をしてから今までに、 二千七十九回(二十八回は臨界前実験)の核実験が行われている▲二千回を超える核爆発がなかったら存在しなかったであろう人工の放射能が、 地球上を覆っているともいえる。 「人類みな被曝者」 である▲核と人類は絶対に共存できない。 人類の幸せを願って発見されたであろう第三の火=原子の火を、 人類絶滅の火として歩ませてはならない▲人類の英知を結集することによって、 それは阻止できると確信する。 しかし、 手をこまねいていただけでは、 平和はやって来ない。
 8・6(HHU)